我が子が自信を持って、二年後の高校生活の

スタートを切るために今、私(親)がどう関わるのか

                                         

                                        

 

【はじめに】

 私たち一家が主人の転勤で米子に来たのが約11年前、我が子(以下Tと記す)が2歳半の時。言葉の理解が遅く、コミュニケーションの取りづらさが表面化してきた頃であった。初めて立ち寄ったスーパーに戸惑い床に寝そべって大騒ぎしたことや、道を歩いている時に突然走り出して車にひかれそうになったことも何度もある(現に1年生の時は道に飛び出してひかれたことがある。幸運にも軽傷で済んだが)。この子が大きくなるまで無事に生きていられるのか、本気で心配したものだ。そこから様々な方との出会いの中でTは成長し、昨年中学1年生になった。その間、私も親としてTとの向き合い方を模索し続けてきた。

 Tは2年後、高校受験を迎える。高校生になった我が子が、周りに自分の存在を認められながら生き生きと過ごしていてほしい。様々な困難が起きた時に対応できる力をつけていてほしい。そして自分の感情を出して、信頼できる友人関係を作っていくにはどうしたら良いのだろうか。

『自分の存在を認められる→自己存在感』『困難に対応できる→逆境に負けない心』『自分の感情を出す→豊かな感情表出』の3つの柱をTの目指す目標と定め、Tの成長過程と親の気付きの視点から未来への取り組みを推察していきたい。

 

 

【目標】

中学校生活において様々な経験をする中で、学業はもちろんのこと自己存在感を高め、逆境に負けない心を育み、豊かな感情表出をしながら、高校生になっても前向きに生きていく力をつける

 

 

  • 自己存在感を高めるために

 Tは幼児期の頃から身体を動かすことは好きだが、球技では不器用さか目立った。相手と接触を怖がり、前に出ないといけない場面でも反応できなかった。幼い頃から技術を先に学べば長期的に克服できると漠然と思い、低学年の頃からサッカー教室等に所属しスポーツを経験させた。しかし数年経ってもTの不器用さを根本から克服できず、形だけやっている状態になってしまった。次第にTの顔からは自信が消え、余裕の無い様子や言動が目立ち始める。『今のままではTのためにならない、何かを抜本的に変えないと』、という思いに至り全て辞めて火曜日教室(現在の『親子で楽しむ小窓スポーツクラブ』)に入った。接触することを怖がって、ボールを持ったまま踏み込めないTに対して、九重卓先生方が「敵が来ても後ろに下がるな!」「今だ、身体を前に入れてボールを運べ!」と『必要なその瞬間』に声かけや身体で教えてもらった。その頃指導担当をしてくださっていたお母さんのサポートもあり、Tは生き生きと火曜日教室でスポーツを楽しむようになる。

 火曜日教室に入って1年後、学校の授業でバスケットの試合をした時に、バスケ部の子から「T君うまいんだね。完全に攻撃を止められてびっくりしたよ!」と声をかけてもらった。当時Tはあまり自分のことを話さなかったが、帰ってきてから嬉しそうに自分から話した。『認めてもらえた』ことが自信につながったのだろう。低学年の頃サッカーを必死で習っていた時には芽生えなかった意欲の育ちが現在では見られ、学校でも休憩時間にはサッカーなどの集団遊びに自然と参加するようになった。

 後に私は子どもの身体作りの必要性を強く感じるようになり、Tの不自然な身体の動かし方は『力の抜き方』が分かってないと気付く。呼吸の浅さも影響していた。いつも身体が緊張状態にあるため、いざという時に力を発揮できないのだ。空手との出会いを通し、呼吸を意識しながら身体を『ひねる・締める』動きを繰り返していく中で、Tの走り方や動き方に変化が表れている。

 

〈私の気付き〉

以前の私は「この集団(サッカー教室)に早くからいれていたら大丈夫だろう」との過信があった。出来ない姿を見せる我が子に『なんで?』と感じ、「気持ちを強く持て!」と言ってしまっていた。懸命にやってもできずに苦しんでいた我が子の気持ちに全く寄り添えていなかった。当たり前のことだが、つまずきには何らかの理由がある。そこをクリアしないと、形だけ色々なことをやってもまた同じところでつまずく。それでは先には進めないのだ!しかし、つまずきの根本を押さえて、そこをじっくり取り組めば、大きな効果を生み出すことができると感じる。Tの場合はサッカーの接触プレーにおいて、相手が近づいてきた時に逃げずにグッとこらえ前を向くことだった。そこを自分のものにし出した時に、水があふれ出るように様々な場面に影響したと感じている。

 子どもが自分自身を肯定でき、自己存在感を高めることができるためには、つまずきがあればその根本を見つけ出して改善すべき点を押さえ、地道な努力の継続によって乗り越えさせていくことが大切だと感じている。

 

 

  • 逆境に負けない心を育むために

 Tは自身の思い込みから指示内容とズレが生じたり、聞き漏らしたりすることが多かった。高学年になると小窓のイベント等でリーダーを数多く任せてもらった。集合の声かけが遅くなってグループの動きが停滞するなど、我が子の不甲斐ない姿を見る度に「こんなこともできないのか」と私はいつも苛立っていた。ミスを多発するTに、『今日もミスをしないこと』が目標になっている時期さえあった。『中学生になるまでに何とか克服させたい』という私自身の焦りからだった。

 そんな時、小窓運動会で白組の応援団長をさせてもらうことになった。通常の単発イベントとは異なり、応援合戦の歌や動き、言葉の組み立てを全て団長が担い指示を出す。最初に小窓のスタッフ側から「Tに任せ、母は関わらないこと」と指示があった。相手側の団長役が小窓イベントの時間を使って上手に話を進めているのに対し、Tは相手チームが話し合いをしていることすら気付かない。意識の違いが明確だった。結果、応援優勝も総合優勝も完敗。チームメイトに申し訳ない気持ちと、自分の不甲斐なさに、運動会の帰りの車の中で肩を震わせて泣いた。完膚なきまでに負ける経験で、Tは確実に変わった。予想できない場面に直面しても過度に慌てず、「今は○○するよ」と周囲に呼びかける姿が増えるなど、目に見える変化が現れた時期と重なる。

 

〈私の気付き〉

 私は、度々機会があったTのリーダー経験も、表面上うまくやることしか見えておらず、先回りをして口を出していた。『失敗することで成長する』という当たり前のことをさせず、障害を排除して子どもを傷つけないよう(私自身も傷つかないよう)保護をしていたのだ。遅まきながらTに対する私の口出しを減らし、様子を冷静に観察することでTの行動パターンがよく見えるようになった。難しく考え過ぎ、目の前のことだけに必死なTの状況が浮き彫りになった。

 よく考えてみれば、大人の私だって色々なミスをする。「ミスだけ責められたら苦しいよね。小学生の頃の私は、周囲のことに気を配って生きてなんか無かった。Tの方が昔の私より全然マシ、よく頑張っているじゃないか」心からそう思えてきた。私の心の変化と比例したように、Tの目に落ち着きと輝きが増していったように思う。

 もしかしたらこの子の近い将来、辛い挫折が待っているかもしれない。志望校に合格できないかもしれない。好きな人に、こっぴどく振られるかもしれない。そんな辛い時に親に少しでも本音を言ってくれたなら、私はこの反省を生かし、「何があっても君なら大丈夫だ」と笑顔で後押ししよう。失敗してもそこから学べば良いのだ。失敗は早く経験できるほど、そして数が多いほど、この子のためになる。今は心からそう思っている。

 逆境に負けず困難に対応できる力を育むには、親が障害を勝手に排除せず、失敗の先に子どもの成長があると信じて笑顔で子どもを励ましながら、前を向かせていくことが大切だと思う。

 

 

  • 豊かな感情表出ができるために

 Tは成長を重ねる中でパニックを起こすことも減り、穏やかな性格が表れる。大人から見れば『いつも笑っているいい子』『扱いやすい子』の類に入り、学校生活では表だった問題は指摘されなかった。反面、常に受け身で、喜怒哀楽の『怒』や『哀』の感情の表出が苦手だった。自身の悲しい気持ちに気付きにくい上に笑顔で流してしまうため、周りの子ども達からはつかみどころがないと捉えられていた。会話の中で不自然な言葉の返しが多く、まとまりの無い言葉を羅列して話すので、最後は何を話したいのか分からなくなることもあった。高学年になると周囲の空気感に気付き、「学校で友達と話していると、僕が言葉を返す時に微妙な空気になることがある」とTがつぶやいたことがあった。

 私はTの生活全般を見直すことにした。家族は5人。T以外の家族はみんなよく話すので、私は他の家族の会話を聞き取ることに追われ、Tが家の中でしゃべらなくても気にしていなかった。家族に協力を要請し、Tを会話の中心に据えた。Tの言葉を意識して聞き取り、不明瞭な言葉を発しても決して否定しないように心がけた。あまりに気になる時だけ「そういう時は○○って言葉を使ったらいいよ。次は上手に言えるから」と短いアドバイスをし、前向きな言葉を必ず付け足すようにした。

 しばらくするとTの言葉の返しが早くなったように感じた。「すごいね、芸人の突っ込みみたいに今の言葉はキレがあったよ。お母さん笑えたわ」良いところは大袈裟にTに伝え、その度にTは心から満足そうな表情をした。学校での様子やニュース等から得た情報を頻繁に会話の中に盛り込むようにもなり、家族に対して納得いかない時は「それは違う!」と強く主張する姿も増えた。ふとしたある日、「そういえば友達からの『微妙な空気』を今は感じなくなったよ」と教えてくれた時のTの目には自信が宿っているように見えた。

 

〈私の気付き〉

 社会に出たら自分の力で人間関係を構築しなければならない。社内(上司・部下)、取引先、新しい家族など、多様な人間関係に対して、自分に与えられた仕事や役割を理解して実行するためには社会的コミュニケーション能力が求められる。人間らしさがない人に、周囲は魅力を感じにくい。Tが自分の思いの伝達をためらう心理として、人から否定される怖さがあるのだろう。人目を気にせず内面を見せる勇気を持てたら、自分らしい人生を生きていけるのではないだろうか。そのためには社会に出る前段階である学生生活の中でTが豊かな友達関係を構築し、情報を吸収し、場に応じた適応力を身につけることが望ましい。経験の無いことにもチャレンジし、自分の思い通りにいかない苦労の中で感情の揺れを体感してほしい。そういう中で他者との共感性が高まり『自分はこういう人間なんだ』と弱みを見せることができるのではと感じている。

 今、日々できる取り組みとして、中学・高校生の読書感想文集や新聞の音読をさせている。「この情報は正しいのか」「じゃあ、こう言ってみよう」と頭の中で情報を一旦整理し、自分なりの意見を持つことが大切だと思う。言葉のストックを増やしながら、自信を持った自己表現につながるよう、私自身も楽しく耳を傾けていきたい。同時に、これからも私たち家族はT中心の会話のペースを意識し、彼の言葉を『待つ』ことを心がけ、Tが話しやすい雰囲気作りを続けていきたい。

 豊かな感情表出ができるようになるには、友達と多様な経験を共有する中で、自分の内面を見せることを怖がらないこと。情報に対して自分なりの意見を持つこと。私たち家族がTの感情表出をもう少し待ち、Tが自信を持って思いを発信できる環境を作ることが必要だと感じている。

 

 

【最後に】

 Tが幼い頃の私は、落ち着かない行動や言葉の遅さばかりが気になり、『なぜこういう行動に至るのか』本質を見ていなかった。『なぜ、うちの子はできないのだろう』『もしかしたら、ずっとこの子はこのままなのだろうか』と我が子への困り感から疲れ、無意識に我が子を責めていた。いつも引け目を感じ、Tが周りから理解を得がたい行動を取った時には「すみません、この子はこういう子なので・・・」と説明することが癖になっていたように思う。目の前のことに必死になり、『将来のための今』という考えを持てなかった。

 そんな時に九重先生に出会い、今の小窓に繋がる多くの仲間と共に子育てを行っていくようになる。主人の転勤で米子に来て縁もゆかりもこの地になかった私にとって、悩みを共有できる仲間との出会いに大きな力をもらった。

 Tと本当の意味で向き合い続けて11年、今の私が11年前の私に伝えられることは、『親が我が子の明るい未来を一番に信じろ』ということだ。『この子はできるようになる』『できるようにしてみせる』と強く思うこと。出来ていない我が子の姿を『なんでできない?』じゃなく『ああ、これが出来ないんだね』と冷静に受け止め、できるようになるまで何度も付き合って乗り越えさせる。できるようにする。これが親の役目だと思う。子どもさんによって持つ課題は違うのかもしれないが、時代が変わっても、例え障がいがあっても子育ての基本は全く同じなのではないかと思う。 

 不思議なことに、人様の子どもの話なら「そんなこと当たり前でしょう」と冷静に受け止められるのだ。これが我が子となったとたんに難しさが露呈する。頭では十分に理解しているつもりなのに、『私の感情』が入ってしまう。できない我が子にいらだったり、目を背けたりしたくなる瞬間が私はあった。そこが自身の課題だと気付き自分を抑えるまでに11年もかかってしまった。可能ならば時を戻してやり直したい、とすら思う。

これから私がTに対して心がけることは、

  • つまずきの根本を見つけて改善点を押さえ、地道な努力の継続で乗り越えさせる。

  • 親が障害を勝手に排除せず、笑顔で子どもを励ましながら前を向かせていく。

  • 友達に自分の内面を見せることを前向きに捉えさせ、情報に対して自分なりの意見を持たせる。家族の協力を得てT中心の会話にし、自分の思いを安心して話せる環境を作る。

 

ことに留意していく。子どものどんな姿を見ても感情的にならず向き合えるよう、私自身の心をコントロールすることも忘れないようにしたい。そして我が子の明るい未来を信じて見守っていく。

『最初から完璧な親』なんて、きっとどこにも存在しないと信じて。